国会の野次について真面目に考えてみた

“ほんと、なんなんでしょう?一国の政治の場で、野次ってどういうことなんでしょうね。くだらない。こんな国に住んでいることが恥ずかしいです。小学生の学級会議でも、野次なんて飛ばせば先生に叱られますよね。それを国会でなんて・・・。結局、この国の指揮をとっている人間はその程度の低俗な人間ということでしょう。

そもそも民主主義という国家統治に限界が来てるんじゃないでしょうか?べつに共産主義を崇拝しているわけではないのですが、民主主義という嘘まみれの独裁主義よりはましかもしれないと思うのです。

私たちは選挙によって政治に参加しているつもりかもしれませんが、選挙が厳正に行われていることを誰が証明できるのでしょうか?本当に国民が選んでいる政治家たちならば、歴代の議員や官僚や大企業のトップたちが親戚だらけなのは偶然なのでしょうか?国政の場で野次を飛ばすような低俗な人間を、私たちが選んでいるのでしょうか?

国会の野次についてまじめに考えれば考えるるほど、この国の根本となっている民主主義に疑問を抱いてしまいます。結局私たちは「選挙権」によって暗示的な支配を受けているだけ、と感じてしまうのです。選挙権を与えられ、選挙に参加することで、自分たちが政治に参加している、という暗示です。だからこそ「選挙に行きましょう!」などとメディアを通じてやたらと騒いでいるように感じます。本来「権利」であり「義務」ではない選挙なのに、選挙に行かないことを非難するような風潮を作り上げているように感じるのです。「選挙に行かないなら政治に口出しするな」といったような風潮もありますが、これもとんでもないことです。私たちは否応なしに納税という「義務」を果たしていますので、選挙に行かずともだれもが政治に意見する権利は所有しています。

すこし話が脱線しましたが、とにかく国会の野次を見ていて私が感じることは、「とてもたくさんの人間に選ばれた人間のすることではない」ということです。”