まずは品格を身に付けるべき

“なぜ、議員の多くは当たり前のように議会で野次を飛ばすのでしょうか?答えは簡単、その議員が低俗な人間だからです。今回の都議会での騒動は、議員の品格を再確認する良いきっかけになったと思います。
しかしこれは議員のみにいえることではないのではないでしょうか?私たち日本人は、よく外国人から「日本人はとても親切で品の良い民族だ」とうれしい評価をいただくことがあります。しかし、その日本の国会では野次が飛び交い、街にはマナーを守れない人々が溢れ返っています。本当に外国人が評価してくれるような、品格ある民族といえるでしょうか?
私たちができること、それはまず、マナーを守ることです。モラルを考えることです。人の発言は最後まで聞く、TPOをわきまえた発言をする、そんな当たり前のことができない人が議員になってしまうから、国会も都議会も野次だらけになってしまうのです。それを「議会の華」だなどと無責任極まりない発言をしてしまうのです。
私自身も、もっと物事の本質を考え、発言できる人間になりたいものです。”

昔は、日本の野次にもユーモアがあった

“たまに国会の野次について、「昔は日本の野次にもユーモアがあったのに。今はセンスがない。野蛮なだけだ。」なんて意見を聞きますが、私はこれを全否定します。ただの思い出補正です。「あのころは良かった」と嘆いている老人と同じです。
もしかしたら、昔はユーモアのセンスが良い議員が多かったのかもしれません。上手に皮肉った野次が多かったのかもしれません。しかし、だからなんだというのでしょうか?国会議員にユーモアのセンスは必要ですか?国会はエンターテイメントなのでしょうか?野次なんて、ユーモアがあろうとなかろうと野蛮な行為です。野次がユーモア次第で許される国会ならば、お笑い芸人が政治家になればいい。私はそう思います。まあ、実際に芸能人が簡単に政治家になれてしまうのが現実で、一番恐ろしいところなんですが。
国会で野次を飛ばすなんて、本当にとんでもないことなのですよ。不真面目、不誠実にもほどがあります。そんな議員は今すぐ辞めさせるべきです。
センスの問題ではないのです。ユーモアがあれば許される行為ではないのです。そのあたりを政治家の皆さんに再認識していただきたいと思っています。”

日本のやじとの違いは?

“よく「日本と外国の野次は違う。外国の野次は日本のそれより上品だ」などという人がいますが、これは根本的に間違っていると、私は思います。
たしかに、イギリスの議会では日本よりもユーモアあふれる野次が飛んでいます。学校でそれを学んできている人たちですので、野次が上手(?)なのも当たり前です。どう考えても受け狙いとしか思えない野次や、思いっきり皮肉った毒舌が飛び交いますよね?
しかしだからなんだというのでしょうか?それが議会として正しい姿なのでしょうか?日本の野次との違い?そんなものどうでも良いのです。内容なんか関係ありません。議会の場において野次を飛ばすという行為が、とても低俗な行為なのです。冷静な議論を交わすべき議会において、それを著しく乱す行為であることは変わりないのです。
議会は冷静に行われるべきです。これに異論がある人はいないでしょう。法律は感情で決めてよいものではないからです。声の大きな人間の意見が通ってしまう議会が正しいのなら、最高の政治家になれるのは和田アキ子さんでしょう。”

不快に思っている人がいるのも事実

“国会の野次について不快に思っている人は確実に存在します。私がその一人です。本当にやめてほしいです。国民として恥ずかしいです。
東京都議会であの「セクハラヤジ」問題があり、議会での野次について議論が起きつつある昨今ですが、ぶっちゃけ今回の野次の内容などどうでもよいと思います。その後あの女性議員はバラエティタレントに復職したようですし、彼女自身は良い売名になったではないでしょうか?
しかしだからといって野次を擁護する気持ちは一切ありません。野次は野次であるだけで下品です。品位のある野次など存在しません。程度や内容など関係ないと思います。
野次を擁護する人間は、議会でまともな発言ができない人間なのではないでしょうか。まともな発言ができないから野次で自分の存在やモチベーションをアピールしているんじゃないでしょうか。安倍さんを見てると・・・どうもそんな気がしてしまいます。
別に安倍さんが嫌いなわけではなく、あの女性議員が嫌いなわけではなく、私は野次が大嫌いなのです。”

結局なんで騒がれてるの?

“結局、なんで今国会の野次が騒がれてるのでしょうか?もちろん騒ぎの引き金となったのは、あの女性議員に対する心無い野次です。本当に人間として最低ですよね。低俗で下卑な、無能の極みともいえる人間です。あんな人間が国の政にたずさわっているかと思うと、寒気がします。
しかし、それをいうなれば、もっと前から議会の野次について議論するべきではなかったのでしょうか?かつて「国会は野次がうるさい」と進言したタレント上がりの衆議院がいましたが、まったくその通りです。そのときの安倍さんの応答は「野次は議会の華だ」という一国の首相と思えないものでした。このときだって、いまくらい騒いでも良かったんじゃないでしょうか?
結局、今騒いでいるのは女性議員の売名としか思えませんよね。実際に最近、バラエティ番組でよく見かけますし、あの議員。野次られたことをネタにしてましたし、どう見ても売名で騒いでいるようにしか見えません。野次る側の人間も神経を疑いますが、それをちゃっかり利用して売名する方も、議員としての資質を疑います。まあもっともあの議員はそもそもタレント上がりですし、そのうち復職するんじゃないでしょうか?今復職すれば、「元東京都議会議員のタレント」として十分やってけそうですし。
芸能関係の事情はまったくの無知な私の勝手な推測ですが、たぶん当たらずとも遠からずといったところだと思います。本当に、なにかおかしいですよね。日本の国会。”

そもそも野次ってなんだ?

“野次という言葉を辞書で調べると、「他人の言動に対し大声で非難したり、冷やかしの言葉を浴びせかけること。および、その言葉」であるとしています。議会やスポーツ、劇場公演など、さまざまな場所で発せられるのが野次です。
私は野次を飛ばすという行為を、非常に低俗な行為だと思っています。議会にせよ、スポーツにせよ、劇場公演にせよ、野次を飛ばすことは許されない行為だと思います。スポーツや劇場公演で野次を飛ばせば、選手や演者のモチベーションを下げたり、他の閲覧者に不快感を与えます。よく少年野球なんかでも野次を飛ばす心無い人がいますが、子供相手になにを考えているのか、神経を疑います。野次られた子供は深く傷つきますし、その保護者も傷つきます。絶対に許せない行為です。
もし野次が許される場所があるとしたら、それはロックミュージシャンのライブくらいではないでしょうか?ロックのライブでは演者と観客のケンカなどよくあることです。しかし、これはそれも含めたエンターテイメントであるから許されるのであって、ある意味で双方の合意の上での野次ともいえます。野次であって、野次でないのです。
いずれにしても、野次を浴びせられた人間は冷静さを欠いてしまいます。どれだけメンタルが強かろうと、まったく動揺しない人はいないでしょう。そんな著しく冷静さを欠いてしまう行為を国会で行うということは、もはや国家への侮辱行為だと思うのです。決して許すべきではありません。”

海外ではどうなってる?

“日本以外でも、議会で野次が飛び交う国は多いです。たとえばイギリスは、議会での野次が日常茶飯事となっています。
イギリスでは庶民院本会議場で与党と野党がお互いに顔を見ながら議論するのですが、そのとき与野党には「野次飛ばし部隊」とも呼べる議員が控えています。つまり、野次を飛ばすことを目的とした議員が存在しているのです。イギリスの政治家は一流大学でディベートを学び、パブリック・スピーチを学びます。議会に野次を前提としているのです。
しかし、だからといって日本がこれを真似ることはありません。戦後から抱き続ける欧米諸国への鬱屈したコンプレックスからか、日本人は欧米に前ならえが正しい選択だと思っている節があります。確かに日本は欧米諸国を真似ることで成長してきた国ですが、正しくないものは真似する必要ありませんよね?
考えてみてください。そもそも国会は「国のために話し合うこと」ための場です。べつにトークスキルを競う場ではないですし、パフォーマンスの場でもありません。トークスキルの高い政治家の法案が通るような議会では、国のためになりませんよね?どんなにスピーチが下手な議員でも、内容が素晴らしい法案ならば通すべきですし、その逆も然りです。それが本来の議会のあるべき姿でしょう?
言ってしまえば、イギリスの議会がおかしいのです。まあ基本的に貴族によって支配されている国ですので、日本とは根本的に感覚が違うのかもしれませんが。とにかく国会に野次なんて、とんでもないことなのです。”

国会に野次って必要?

“そもそも、国会に野次が必要なのでしょうか?もちろん私は全く必要ないと思っています。
かつて東国原さんが「国会で野次がうるさいのは問題。野次をやめるというのを議論するべきでは?」と意見したことがありました。これに対して安倍さんは「野次と言ってもいろいろある。議場の華と言われる場合もある。自分も若いころはかなり野次を飛ばしていた」と答弁したのです。つまり、一国の首相が国政の場で野次を擁護したのです。
私個人の意見になりますが、はっきりいってこれはとんでもない答弁だと思います。
「野次にいろいろある?馬鹿を言わないでくださいよ安倍さん。野次は野次です。発言権のない人間が勝手に言葉を発しているから野次なのです。野次を容認するならば、議会の意味がないではないですか!思いつくまま好きなことを発言できる議会なんて、議会になりませんよ!ただの混沌です。しかも国政の場ですよ?そんなことを一国の首相が擁護するような発言をするなんて、あまりにも軽率じゃないですか?」
というのが私の意見です。
よく「程度の良い野次は国会の潤滑油になる」などとのたまう輩がいますが、なんのつもりでそんなこと言ってるんでしょうか?私にはさっぱり理解できません。野次が議会の華?潤滑油?なにか勘違いしているんじゃないでしょうか?国会に野次の必要性など、1ミクロも存在しないことは小学生でも分かると思うのですが。国会に参加する人間に、そんな簡単なことがわからないのでしょうか?”